2012年7月3日火曜日

最後の記事


日本に帰国してはや1週間以上が経過しました。

食べるもの全てが100倍増しでおいしく感じるゴールデンタイムの余韻に浸りながら過ごしています。

帰国後の研修を東京で受け、地元の駅についたのは帰国日からかなり経ってからでした。

やっぱり地元に帰ってきたら、

「いや~やっと帰ってきたわ~」

と感慨に浸るかと思いきや、

地元の駅がフルモデルチェンジしていて、改札通る前に本気で間違えたと思いました。

ちなみに私自身もフルモデルチェンジを計ろうと頑張りました。
っていうか美容師の方が頑張ってくれました。

すんません、どうあがいても写真をちゃんとした向きに直せなかったので見づらくてすいません。






その後は住所不定の身分を払拭すべく、住民登録のために市役所に行ったり。

田舎人は車が無いと不便なので、車を買う手続きをしたり、
でも車の手続きのためには、印鑑登録が必要でまた市役所に行ったり。

パスポートが切れていたので、更新する手続きをしようとしたり、
でもパスポート更新には住民票などが必要で、やっぱり市役所に行ったり。

そんなわけで、やたらと市役所に通った1週間でした。


さらに母親がスマートフォンを持っていたのに焦ったかどうかわかりませんが、私もケータイをナウいものにしようとiPhoneにしちゃいました。

とりあえず今のところ、ボタンが押しづらく、一向に使い方がわからないですわ。


そんなバタバタしている中、明日、会社に行ってきます。

勤務地が決まった後、引越しをする事になるかと思います。

完全に浦島太郎で、新入社員の様な気持ちで出社です。

なので、いつまでもガーナと比較したり、変な先入観を持つのは辞めようと思います。


これから生活する上で、ガーナでの経験を活かす機会は非常に少なく、下手をすれば一生機会がないかもしれません。

でもガーナでの経験は私にとって本当に貴重で、死ぬときに後悔することは絶対にないと思います。


ガーナでの生活を始め、協力隊で学んだ一番大きなものは

「デメリット(悪い点)ではなくメリット(良い点)を考える」

という事。

やらない理由、出来ない理由、リスクを見つけて行動しない事は簡単です。

しかし私は協力隊で、やった後の良い効果を目指して、行動していくという事の大切さを学びました。

文章にすると、本当にシンプルで使い古された言葉ですが、私の中では本当に大きなものです。


例えば、このブログにしても、

在籍している会社やJICAの機密情報を載せたりして問題になる事もあるからブログを作るのは辞めよう、と考えるのは簡単です。

でも、日本にいる人にガーナの事を知ってもらったり、少しでも楽しい気持ちになってもらえたらと思い、このブログを作りました。

なので極力、ネガティブな事は書かず、読む人が楽しんでもらえる様にしました。

無論、インターネットを通じて公開する以上、そこに責任があるわけなので私なりの配慮はしました。

もし至らない点があり、不愉快になった方がいたらごめんなさい。



今回の記事でこのブログは終了になります。

今まで本当にありがとうございました。

ブログに書き切れなかった部分は、お酒でも飲みながら直接話しましょ♪
おみやげも渡せるかと思います。

それではまたどこかで、バイバイよ~♪

2012年6月19日火曜日

帰国


いよいよ日本帰国です。

おそらくこれがガーナで書く最後の記事です。

もしかしたら日本であと一回書くかどうかです。

2年間、本当に本当に本当に色々な事がありました。

ホストファミリーとは2年間ずっと家族ぐるみの付き合いをさせてもらいました。
私が溺愛している1歳半で殆ど言葉を話せなかったマミエシィが今では私よりもチュイ語が話せる様になり、っていうか俺のチュイ語は全く伸びず。

ちびっ子達と裸足で軽~くサッカーしただけなのに足がアザだらけになったり。

赴任直後に行った授業で、生徒が日本の大学レベルの事を勉強していて、「俺は一体何しにきたんだ、必要ないじゃん」と悩んだり。

でもやっぱり、理科実験の授業をやる必要があると実感したり。

青年海外協力隊員は自分の事を隊員って呼んで、ウルトラ警備隊かいな?と自分にツッコんでみたり。



協力隊やボランティアとして途上国で活動する際、全員が少なくとも一度は悩むこと

「ボランティアって一体なんなんだ?」
「自分はここに必要なのか?」
「現地人が行っている今までのままでいいんじゃないのか?」

私も何度も考えました。

その度に思いました。

「彼らに必要だと思われる事と自分にできる事をやろう」

それは大きな事でも小さな事でも良いと思います。

政治を変えてこの国を良くする。

という事から

今日はゴミを一個拾う

という事まで。

私は

理科を文字だけではなくイメージで捉えさせる

生徒に顕微鏡を用いて身の回りのものを観察させる

実験器具を整理整頓する。

体の臓器に関するテストでは生徒の平均点を正解率80%にしてやる。

今日は実験器具を50ヶ洗う

という事だったりしました。



協力隊員の多くは一人で活動します。

現地人との確執が生まれてしまってもそれは自分で解決しなければならず、

体調管理も自分で行い、活動がうまくいかなくても、

いくら周りからのサポートが大事だと言っても、

最終的に判断し、行動するのは自分です。



途上国からの要請に基づいた事業であるという性質上、

協力隊員で来たはいいけど、何もする事がない。

病気に罹ったり、事件や事故に巻き込まれる。

治安が悪化して2年間をフルに活動する事ができない。

という可能性もあります。

間違いなく言えるのは、日本にいる時に想像していた事を100%思い通りに出来る人は一人もいません。

そこで違った視点で活動したり、
活動場所を変えてみたり、
自分の考えを強引に主張してみたり、
協力隊を辞めて新しい事にチャレンジしてみたり。

正解はなく、「自分が納得できる答えがあるかもしれない」というものだと思います。



青年海外協力隊の活動は、一部には非常に華やかに写り、一部には非常に地味に写り、ただその活動の多くは広く知られてはいません。

だた言えるのは、そこはやりたい事が何でもできる夢の世界でも、何もしなくても良い怠惰の世界でもありません。

あるのは「現実」だけです。

村では自給自足で生活して現金収入がなく病院に行けないという現実。

先生が学校に来ないため授業が出来ない現実。

アフリカにも高層ビルがある現実。

テロや紛争が起こっている場所があるという現実。

純粋で外国人である私にも親切にしてくれる人がいる現実。

外国人である事をバカにする人がいる現実。

協力隊員は日本国民の税金で活動しているという現実。


どんな事もそうだと思いますが、協力隊員の活動はそんな目の前の現実に合わせて活動するというものです。


なので私は日本の友人に

「協力隊はすばらしいよ。お前も絶対やるべきだよ」

とも

「協力隊なんか参加しない方がいいよ。あんなの行っても何の役にも立たない」

とも言いません。

私は私の直面した現実に対して私のできる活動をしただけであり、100人いれば100通りの現実があり、100通り以上の活動があります。



私は会社を休職して参加しました。
2年間、会社を離れて協力隊で活動した事が日本ではマイナスに働く事もあると思います。

ただ、今の私の気持ちとしては

協力隊に参加して良かった。
自分が死ぬ時にガーナで協力隊活動をした事を後悔する事は無い。

という事です。

国籍問わず協力隊生活で関わった方々、日本で応援してくれた方々に本当に感謝しています。

本当にありがとうございました。






2012年6月18日月曜日

棚問題4


「棚問題」最後です。

工事は着工しますが、買っているはずの木材が無い。

毎日来るはずの業者が来ない。

などなど、トラブルは続出です。

合計で6つの棚を製作する事になっていましたが、私が任地を離れるまでに完成したものは3つでした。

そのため完成した3つの棚を使って備品を整理しました。

劇的ビフォーアフター、ご覧下さい。

ビフォー





アフター






やはり、心残りなのは未完成の3つの棚です。

しっかりと学校内の担当者に引継ぎを行い、一ヵ月後には全ての棚を完成させるとの事。

が、いかんせんここはガーナ。

未完成の棚は作りかけなので、工事が完全に中止になる可能性は低いと思いますが、完成の時期が大幅に伸びる事は間違いないでしょう。



この棚問題を振り返ると、本当に色々な事がありました。

「棚を作る」と言葉にすれば簡単な事ですが、それを実行するには本当に本当に本当に大変でした。

また、一つの問題について現地の人と深く掘り下げてやりとりをすると、その裏にある問題の根の深さに途方に暮れそうになります。

ただ、遅く少しづつではあるけれど進んでいく棚製作は非常に楽しいものでもありました。

ピーク時には、色々な場所で棚を見れば、その作りや構造を観察してしまったり、
木材の厚さをパッと見ただけでおおよそ当てる事ができる様になったりしました。
理数科教師として本来の目的から外れているので職業病ならぬ副業病でした。



図面を書いたり、進捗管理などは私がやってしまいましたが、
工事業者や材木店との交渉、資材搬入のための手配などはカウンターパートを始めとした配属先の人間が行ってくれました。

色々な意見があるかと思いますが、私の意見としては、

外国人ボランティアは今まで現地人が行っていない、気づいていない部分に手を加えて付加価値を提供するべきだと考えています。

ボランティアは黒子やコンサルタントの様に現地人を影で支え、彼ら自身で行動する様に働きかけていくべきものであると思います。

以前から頭では思っていましたが、この棚問題を通じてそれを強く認識しました。




2012年6月17日日曜日

棚問題3


まだ「棚問題」です。

なんとか一応の許可を得られたため、棚の製作について具体的に進める事となりました。

まず、同僚と詳細を検討後、棚の図面を作成しました。



私の人生の中で図面を書くという事は生まれて初めて、さらに絵を書く能力が幼稚園児レベルの私は本当に苦労しました。

製図といっても日本の様にパソコンで作成したりする本格的なものではないですが、製図する道具もないので、大きな街で買った三角定規や分度器なんかを駆使して手書きで書いていきます。

さらに色々な都合で、3種類の棚の図面をほぼ一日で仕上げなければならない状況であったためマジでしんどかったです。

図面が完成すると、それを同僚が学校内の設備管理担当者や工事業者に費用を算出する様に動きました。

そうして出てきた概算費用

約2,000ガーナセディ(約10万円)

ちなみにこの金額、ガーナではちょっとした人の年収くらいの大金です。

この金額を校長と経理担当者に見せたところ、

「もう少し、費用を抑えられないのか?」

と再検討依頼が入りました。

そこで、設備管理担当者、工事業者、木材屋さんなどと検討を重ねていきます。

「図面に描いてあるサイズの板は遠くの大きな街まで行かないと手に入らない」

「でもなるべく厚い板を使わないと、たわんだり折れたりするよ」

「じゃあ負担が掛かりそうな部分にだけ補強材を入れて構造的に強くしよう」

「とりあえず、お腹減ったからご飯食べたい」

「隣の家のやつが、冷蔵庫買ったらしい」

などなど、有意義と無意味がマックシェイクの様に溶け合った議論が展開されます。

最終的に1,800ガーナセディ(約9万円)と一割のコストを削減して最終承認を得られる事ができました。

そんなこんなでようやく工事がスタートしました。


2012年6月16日土曜日

棚問題2


引き続き「棚問題」です。

校長先生の言い分として

2007年にガーナ政府から理科強化校に指定された際に新しい(現在使用している)実験室が建てられた。
その時、一緒に棚も作られているはずのものであり、今からお金を出して製作するのはおかしい。

との事。

ちなみに今の校長先生は2010年の途中に着任しているので当時、学校にはいません。

ここで一度計画は完全に頓挫します。

その後、当時の工事業者に事実を確認しますが、いかんせんここは途上国ガーナ、そんな詳細な資料が残っていたり、詳しい状況は把握できませんでした。

そのため、周りの先生や職員を巻き込んで校長先生を説得する様な働きかけを行いました。

ガーナ人の高いブライドを傷つけては、この計画は完全に崩壊するので、

「そうそう、こんな実験器具があるんだけど見に来てよ」

「この前、日本では見ない変な器具を見つけたんだけど使い方教えてちょうだいな」

等と、軽い感じで他の先生や職員を理科室に呼んで備品が山積みされている部屋に誘います。

「いや~こんな山積みされた器具はもったいないよね」

「棚があれば何がどこにあるかわかりやすくならないかな~?」

などなど徐々に用件を切り出していき、理科を担当している先生以外や管理職の人たちに私の考えを知ってもらいました。

要は「根回し」です。

空から降る一億の星のキムタクの様が

「別に俺が頼んだわけじゃないけど、彼女が勝手にやったんだよ」

と言ったように、

「別に俺が頼んだわけでじゃないけど、みんなが勝手に校長先生を説得してくれた」

的な感じです。

この働きかけが功を奏し、校長先生をなんとか説得する事ができ、棚の製作について一応の許可を得られる事となりました。


そしてこの時、私には決めていたことがありました。

「棚の製作にJICA(独立行政法人国際協力機構)の支援経費は使わず、配属先やガーナの機関の中で費用を全て出してもらおう」

協力隊員がJICAに申請をして承認を得られれば、費用を工面してくれる制度があります。

それを使わずにいこうと考えたのは、既に製作されているべきものと主張しているものに対して、外部の機関から援助をするべきではない。
と考えたからです。

2012年6月15日金曜日

棚問題1


いよいよ、ガーナにいる時間も残りわずか。

料理ネタと下ネタを書き続けても良いと思うのですが、風当たりの強い昨今の状況を踏まえて活動の事もマジメに書きましょう。

私が取り組んだ活動の中で一番大きなものが、

「棚問題」

です。

私の配属先には文字通り腐るほど実験器具があります。

これは2007年に理科強化校として指定された際に実験棟建設と共にガーナ政府から送られたものです。

しかし、それらの器具の多くは一度も使われず放置されています。



ただ放置されているだけのため、使いたい器具があっても探し出す事ができませんでした。

さらに、例えばある薬品を使いたいと思って新品の封を開けた後に、使いかけの同じ薬品を見つけるという事が多々あります。

そのため、当初からこの現状を何とかしたいと考えていました。

そこで、これらの備品を整理する棚を実験室に置こうと動きました。

まず、今まで訪れた学校ではどの様に管理しているかを調べ、

写真を見ながら同僚と

「あの学校ではこんな棚を使っているけど、小さい薬品を置くのには不便そうだよね」

「うちの学校に棚を置くとしたら、薬品と実験器具は完全に分けたいよね」

「今まで使っていた器具はすぐに取れるようにしたくない?使っていない備品とは分けたほうがいいかな?」

などなど、意見を交換していきました。

そして配属先へ正式に依頼書を提出していきます。

学科長、副校長先生は

「お~いいんじゃないか。じゃあ校長先生に話をしに行こうか」

と好印象で了承してもらいましたが、校長先生に話をすると却下・・・

ここから私の地獄の日々がスタートしました。

過去問集


私がいるガーナの教員養成校は学期末の試験は学校独自で作らず、ケープコーストという街にある大学が一括で作成します。

基本的に学期末試験60%、平常点(通常授業での評価)40%で生徒は評価されます。

そのためケープコーストの学期末試験でいかに点数を取れるかというのは生徒にとってかなり重要になってきます。

私も学期末試験が近くなると過去の問題を見て、ちょっとした対策を行ったりしています。

ある日、同僚が

「ここに過去問あるから使うなら取っていっていいよ」

と、床や机に散在したプリントを指して言っています。

き、汚い。


A型の血が叫んでいます。

「ユー、片付けちゃいなよ!!」

しかし、私の任期も残りわずか。


もう一人の後ろ向きの自分がボソっと

「途方も無い量の資料だし、他にやっている事もあるし、離任までに間に合わないよ・・」


ひと昔に有名になった方は言っていました。

「アツイ、ヤバイ、やるっきゃない!!!」


そんな声に後押しされたかどうかわかりませんが、過去問集を作る事にしました。

作り始めると、これがなかなか手強い。

まず、カウンターパートは

「お~モリタ、こんなとこにも問題用紙があったぞ」

と、わんこ蕎麦のおかわりの様にどんどん問題用紙を持ってきます。

さらに、問題用紙が2枚以上に分かれているとそれがバラバラになっています。

ジグソーパズルの様に前後の問題を見ながら合わせていく作業はしんどいの一言です。


まず、同僚に簡単な仕分けはしてもらってから私がそれを細かく整理していきます。

こうして完成したのが、過去問集です。





オリジナルは全てこのファイルに閉じてあります。
今後も同僚が使える様にとタブをつけて教科毎に分けています。
このファイルは生徒持ち出し禁止。





重複して複数あった問題用紙は別の袋に入れて生徒に渡しても良い様にしました。


いや~なんとか間に合った。

2012年5月28日月曜日

ゴミ問題


ゴミ問題。

ガーナでも非常に深刻です。

なんでもかんでもそこら辺にポイポイ捨てるガーナ人。

食べ終わったオレンジなど自然に還るものならまだしも、ビニール袋やプラスチック製品なども平気で捨てます。

中でも首都アクラにある川はゴミで川が埋め尽くされて大変な事になっています。



ちなみにゴミ処理場というのも全く無いわけではありません。

クマシにあるゴミ処理場に行った際は、再利用できそうなゴミを拾ってそれ以外は燃やしている場所がありました。

しかし非常に不衛生で、さらにそこには牛がいてそのゴミを食べたりしています。

ほとんどがプラスチック製品にも関わらずです。




また、ザ・田舎町、ニャリガに行った際にもゴミは非常に目立ちました。

何も無い大地に散乱する黒いビニール袋。

本当に残念です。

そこに住んでいる方は

「昔は皆自給自足で生活していたから処分できないゴミは出なかったけど、最近は現金が入って他の町からも物資が入ってくる様になったのでゴミが増えた」

村が発展していく事による弊害があるんだな~と実感した一言でした。



ちなみに協力隊の職種には「環境教育」というものもあります。

ガーナには一人もいませんが、こういう問題は国レベルで考えていかなければいけない大事な問題ですね。

2012年5月27日日曜日

アコソンボ


ガーナには殆どのガーナ人が知っているアコソンボという場所があります。

この場所がなんで有名かというと「ダム」があるからです。

ガーナにはボルタ湖という世界一大きな人造湖(自然に出来たものではなく人間が作った湖)があります。

この湖を利用して水の供給や、水力発電が行われています。

その場所がアコソンボなんですね。

このアコソンボにも私の同期が一人います。

いや、いらっしゃいます。

そのお方こそが「さとこ姉さん」です。

誰よりもきれいな英語を操り、キビキビとした態度で颯爽とされていらっしゃいます。

さらに彼女の沸点の低さはハンパじゃありません。

タクシーの運転手がとてつもない金額をふっかけてきたり、

すれ違ったガーナ人が「チンンチョンチャ~ン」とバカにする様な言葉を発した際には、

戦場カメラマンの如く凄惨な現場を目撃する事ができます。

口達者なガーナ人を言葉で丸め込む姿は圧巻です。



そんなお姉さまに案内して頂きながらアコソンボを見てきました。

まず、ダム。

運悪く、団体が見学に来ていてかなり長いこと待たされそうだったので遠くから見学するのみでした。

高台にあるホテルから見学しようとタクシーで移動していると、

タクシーの運転手が道を間違え、さとこ姉さんの教育的指導が入ったり、

エンジントラブルで止まった際には

「ここからは歩いていくからバイバイ」

と2セディを渡す姿は、ドMが泣いて喜びそうな月9のキムタクばりのオラオラ系態度でした。

周りに何も無い場所で、故障した車を直そうと燃料ホースに口を付けて吸っている運ちゃんのシュールさはハンパじゃありませんでした。



そんなこんなでホテルに到着し、初めて見るアコソンボダム。

いや~しっかりしたもんです。

このダムのおかげで、ガーナの水道や電気は周りの国と比べると比較的安定しています。

とりあえず、意味はわかりませんが「華麗なる一族」風の写真を撮ってこの場を後にしました。



さらにイースタン州とボルタ州を分けているボルタ川に掛かる橋を眺めたりとアコソンボを堪能させてもらいました。

さとこ姉さん、マジでありがとうございました!!!






2012年5月26日土曜日

アボ



私の同期の一人はアボという町に住んでいます。

パッと見るとアホと見えて、

とてつもなくアホな人の事を言っている様ですが、決してそんな事はありません。

その同期とは関西弁のネイティブスピーカー「まるちゃん」です。

「あたし、そんな訛ってへんで~」

と否定しているその言葉すらザ・関西弁です。

そんな彼女はアボという町にある、イタリアからの支援で作られた職業訓練校で「服飾」を教えています。

職業訓練校は仕事に直結する様な事を学ぶ学校で、日本でいえば工業高校、商業高校、農業高校みたいな感じでしょうか。

また、服飾とはざっくり言うと服の作り方やミシンの使い方を教える仕事です。

そんな学校に首都アクラに用事があった際にちょっと寄らせてもらいました。

この学校はイタリアのボランティア団体からの援助で設立された学校で、身体障害者と健常者(特に障害を持っていない人)が一緒に勉強しています。





生徒数は約100人と非常に少なく、車椅子でも移動できる様に建物間を移動していても殆ど段差がありません。

訪問した日はイタリアから来た買い付け人(?)とデザインの打ち合わせをしていたため、授業を見ることは出来ませんでしたが、初めて見る職業訓練校は新鮮でした、

今や日本昔話でしか見る事が出来ないような「はた織り機」なんかもありました。



さらに、この学校は精神障害を持った子供のための施設もありました。

ガーナ人がボランティアの様な形で働いて子供達の世話をしている姿を見て、本当に感動しました。

こういう組織って本当に世の中に必要ですよね。

アボにいる人たちはアホではなく素敵な方ばかりでした。




2012年5月25日金曜日

AYMうちわ



久々にやりましょう。

AYM、あってよかったもの。

今回は「うちわ」です。

日本で簡単に手に入るプラスチックで出来た骨組みに紙が貼られたもの。

ガーナではまず手に入りません。

一応うちわはあるのですが、わらの様なものを編みこんで出来ていて重いんですね。

部屋で暑いとき、ベッドに転がりながら手軽に扇げるものはやはりジャパンうちわです。

個人的には扇子よりも普通のうちわがオススメです。

もし暑い国に行く際は一枚持っていってはいかがでしょうか。



2012年5月24日木曜日

ピュアウォーターの作り方


今まで、サボっていたので過去の事ばっかりになりますがご勘弁を。

さらに、もし重複した記事だったら笑って許して和田アキ子、も~うキャンセルも出来~ない byミスチル「星になれたら」

さてさて、ガーナには「ピュアウォーター」と言われているものがあります。

要は人間が飲むために売られている水です。

ガーナでも日本と同じようにペットボトルに入って売られている水もありますが、値段がちょっと高いです。

そのため、一般的なものが「ピュアウォーター」という厚手のビニール袋にパッキングされているものです。

500ml入りですが、5~10ペセワ(約5円前後)で買えます。

ちなみに同じ500ml入ったペットボトルの水は70ペセワ(約35円)です。

今回、そんなピュアウォーターを作っている現場にお邪魔してきました。




作業場は至ってシンプル。

っていうかほぼ全て機械が作業しているだけです。

最後の30ヶ詰めにする作業だけ人間が行います。

水を機械に送るパイプには粗さや種類が異なるフィルターが5ヶ以上はついていました。

さらに機械には紫外線で殺菌する装置まで付いています。

パッキングする袋も紫外線で殺菌されていて、思っていた以上にしっかりしています。

ちなみに訪問したピュアウォーター工場は外国資本で建てられた病院の敷地内にあります。

そのため病院の院長先生などに挨拶して、写真もちゃんと許可を取ってネットに載せるのも了承してもらいました。

2012年5月23日水曜日

IFESH


私のいる学校にはアメリカ人のボランティアが二人います。

一人はピースコー(Peace Corp)という団体から派遣されてICT(情報)を教えている人。

ICT、手っ取り早く言えばパソコンの使い方等を教えている人です。

さらにこのピースコーは日本が青年海外協力隊を作る際にモデルにしたものです。

もう一人はIFESHという団体から派遣された人。

IFESHはInternational Foundation for Education and Self-Helpの略です。

教育分野を専門に途上国で支援を行っているアメリカのボランティア団体です。

このIFESHから来ているボランティアの方がワークショップを開いたので軽くお手伝いさせてもらいました。

ワークショップは私の学校で働いている先生を対象に「本を読むことの大切さ」を月に一回程度の頻度で教えるものです。

私はプリントを配ったり集めたりという訓練したら猿にでも出来そうな簡単な事をやらせてもらいました。



ワークショップは毎回ある程度内容が違うのですが、私が参加した回は

本や雑誌の記事から要点を書き出すというものです。

正直に書くと、ワークショップの最中は

このワークショップを終えて期待される効果は一体何なのか?

と疑問に思っていました。

ワークショップが終わってから、少し話していると

ガーナでは小学校などでも生徒に本を読ませるという教育はされておらず、「論理的な思考力」を育てるという考えが無い。

この「論理的な思考力」という言葉にハッとさせられました。

というのも私も理科を教えている際に

「理科はただ暗記するだけではなく、論理的な考えを身につける教科だよ」

と生徒に言っていたからです。

私と彼女に共通したガーナの教育の問題の一つに

「論理的な思考力」

があり、私は理科を通じて、彼女は本を読むという事によってそれを身につけさせようとしていたのです。

一つの問題に対して様々なアプローチがあると実感しました。

いや~教育とは奥深く、難しいもんですな。


このワークショップの前に、彼女のお父さんが亡くなられました。

そのため本来の任期を全うせずにアメリカに帰国する事になってしまいました。

非常に残念ですが、ご冥福をお祈りしています。

2012年5月22日火曜日

冷蔵庫


かなり前になりますが、部屋にある冷蔵庫が壊れました。

っていうか私が壊しました。

ちなみにこの冷蔵庫、学校が用意してくれたものです。マジすいません。

霜取りしてたら壁を突いてガスが漏れてきました。

いや~冷蔵庫のガスが当たると手は凍るんですね。

常夏のガーナで凍傷になるという不名誉な記録を作るところでした。


みなさんマジで気をつけて下さい。

あ、ちなみにすぐに水で溶かしたので怪我などはしてないです。

とりあえず、冷蔵庫の中のものを出して、考える人の銅像か全盛期のビスマルクばりに思考を巡らせます。

(この時)残り半年で新しい冷蔵庫を買うにはもったいない・・・

しかし冷蔵庫なしでは生活レベルが100分の1に下がる。

!!!

町を歩いていると冷蔵庫が放置されている家があったのを思い出しました。

もしかしたらそこで修理が出来るのでは?




何はともあれ、ガーナパパであるホストファザーを呼んで相談です。

そういえば、日本にビアードパパってシュークリーム屋さんありましたよね。

あ、言いたかっただけです。

ガーナパパは早速、生徒に冷蔵庫を運ばせます。

さらに学校で備品を管理している人も呼んでくれました。

私が使っている冷蔵庫は学校の備品なので学校のお金で直すと言ってくれたんですが、色々と手間と時間が掛かるし、何より私のミスです。

そんなわけで、費用が私が出す事にしました。

通りすがった車を持っている先生に頼み、トランクに無理やりブチ込み、運んでいきます。

持っていくと

「OK,じゃあ明日の10時に来い」

と超気軽に引き受けてくれました。

っていうか早い、夕方5時くらいに出して翌日朝10時の仕上がりです。

日本のクリーニング屋よりも迅速な対応です。

ちなみに修理代は15セディで、ちゃんとガスの補充もしてくれます。



翌日、行くとちゃんと仕上がっていました。

ただ、

「いいか、冷蔵庫には先の尖ったものを使っちゃダメだぞ、説明書にも書いてあるぞ」

と忠告を・・・

はい、マジですいません。

日本製の冷蔵庫を使う日本人、ガーナ人に怒られました。


修理した跡

2012年5月21日月曜日

帰国日決定


いや~ご無沙汰です。

あ、そういえば俺ブログやってたわ

って思い返してしまうくらい更新してなかったですね。

ガーナ生活も残すところあと僅かです。

連絡が遅くなりましたが、帰国日が決定しました。

ガーナを6月19日に出発して6月21日に日本到着予定です。

しかし、帰国後にはJICAのちょっとしたプログラムが予定されているので、実家に帰ったり自由に動けるのは6月26日以降になりそうです。

うぉ~遂に日本食を死ぬほど食える日が来る!!!!!
と狂喜乱舞する一方

いつも周りにいるガーナ人と別れる日が来るのか~
っとちょっと寂しい気持ちもあります。

どうあがこうが、残り一ヶ月しかありません。
まずは悔いの残らないように目の前の事に全力少年(byスキマスイッチ)で頑張ります。

2012年4月9日月曜日

田舎に泊まろう3


引き続き、だっくの任地ドンポアセに来ています。

同期隊員だっくは小学校教諭ですが、隣町に高校で理科を教えているTKという隊員がいます。

どうせなので自炊をして、3人で夕飯を食べようという事になりました。

ただ、この二人、任地でほとんど自炊をしていません。

野菜などを買っていき、だっくの家で自炊をしようと調理道具を見て唖然・・・

前任者が残したという調理道具はあるものの調味料はほぼゼロ。

なんせ、塩コショウすらありません。

箸も一膳しかなく、フォーク等がないかと思っていると、

TK「じゃあ、箸つくりましょうか?」

などと意味のわからない事を言い出し、木の枝をナイフで削り始めました。



・・・

なんなんだこいつら!?

私たちは遭難しているわけでもなく、原始人体験をしているわけでもありません。

れっきとした21世紀に生きる日本人です。

たくまし過ぎる若い2人を見て、日本の将来は明るいのか暗いのかわからなくなりました。


実は、この日はTKの誕生日だったので誕生日パーティーをする事にしました。

ケーキはないのでケンケにロウソクを刺してお祝いです。

さらに誕生日プレゼントには

生徒と一緒に草刈りができる様にとカトラスという草刈り用のカマと

男一人で任地にいるのは寂しいだろうと思い、女の子の人形をプレゼントしました。

ちなみにこの人形、夜中に見たら悪夢を見そうな上に、スイッチを押すと光るというよくわからない機能がついています。



そんなお祝いなのか嫌がらせなのかわからない誕生日パーティーで田舎に泊まろう体験は終わりました。


いや~それにしてもよく頑張ってるわ~。

だっく、色々とサンキューでした。



2012年4月8日日曜日

田舎に泊まろう2


同期隊員だっくの任地で田舎に泊まろう体験中です。

だっくは小学校教諭という職種で近隣の小学校をバイクで巡回して理科や算数を教えています。

そんな活動に同行させてもらいました。

むろん、私はバイクがないのでタクシーで追いかけること、約30分。

小学校に着きました。

この日は近隣学校を集めて教材研究のための模擬授業が予定されていました。

そのためだっくと私は見学してアドバイスなどを行う事が目的でした。

しかし・・・

校長「いや~開催しろって案内が来たのが金曜日で、土日は葬式で忙しかったからさ~」

って事で、学校に着いても近隣学校の先生がいる気配はなし。

ダックがスケジュールを調整し、この学校では後日開催される事になりました。

どうせなので通常授業を見学させてもらう事にしました。




見学したのは「理科」。

呼吸についてです。

酸素、二酸化炭素、肺などの単語すら生徒が理解出来ているのか不明な状況で授業は進んでいきます。

何より驚いたのは

生徒が一人も教科書を持っていないし、ノートを持っている生徒すら数人。



生徒はひたすら聞くだけです。

ただ、先生が不真面目かと言ったらそんな事はなく、画用紙に書かれた自作の教材や生徒を巻き込んだアクティビティーみたいなものを用意したり工夫していました。

以下、語弊があるかと思う事を書きます。

捻くれた私が思ったのはおそらくこの授業は私たち外国人ボランティアがいるから用意されて実施されたまだマシな授業ではないのか?という事。
実際、壁に貼られた時間割にはこの時間は別教科の授業でした。

先生は最後に授業を纏めて、生徒に課題を出したりして頑張っていました。
しかし、私はこの授業を経て、生徒は何を学んだのか?という事がいまいちわかりませんでした。

今回、この学校でガーナの教育が抱えるもっと根本的な問題を実感しました。

それは「学校のマネージメント」

・時間割通りに授業を実施する
・授業中には生徒を基本的に教室外へ出さない
・ノートやペンを準備して(させて)授業内容を記録させる

当たり前の事ですが、そういった環境作りをもっとしっかりするべきだと切に感じました。

無論、それを完璧に実施するのはとてつもなく大変ですし、阻害している様々な要因があるかと思います。

しかし、そういった事を置き去りにして教材を工夫したりしても、ガーナの教育の発展はないと感じました。

本当に難しい問題ですね。

田舎へ泊まろうはまだ続きます。




2012年4月7日土曜日

田舎に泊まろう1


田舎に泊まろうinガーナ

文字通り、ガーナで田舎に泊まってみようって事です。

ただし、ガーナ人でもビビる様な本当に小さな田舎ではなく、協力隊員のいる任地で田舎に泊まってみようって事です。

そんなわけで、ウルルン滞在記の様なものは期待しないで下さい。

お邪魔したのは

ガーナに来てやさぐれと評判の「だっく」の任地です。



彼はガーナ人の家にホームステイしています。
その時点で+20ポイントです。


電気は通っていますが、2週間近く停電する事もあるという事で
+20ポイント。


水道・・・
無論、蛇口から水は出ません。
井戸です。
しかし、何がすごいってこの井戸、絵に描いたような井戸です。
ガーナで井戸は珍しくないですが、多くの場所ではより簡単に汲み上げられる様に工夫してあります。
しかし、だっくの家の井戸はヒモが付いたバケツを滑車でカラカラと引き上げるというもの。
家の目の前が井戸という事もありますが、+50ポイント差し上げたいと思います。




トイレ・・
蛇口から水が出ない状況なので、水洗なわけはありません。
田舎では一般的な、石やコンクリートで出来た便器があるボットン方式です。
ちなみに鍵は曲げたクギ1本です。
これまた+50ポイントに相当します。





私が到着した日も案の定、停電でした。

暗闇の中で懐中電灯を灯しながら、日本から送られてきた「えいひれ」を興奮しながら食べた私達二人の姿は異様の一言です。

なんのポイントか全くわかりませんが、140ポイント獲得した彼には今度なにかプレゼントしたいと思います。


つづく





2012年4月4日水曜日

自動車整備工場


協力隊の任期は通常2年間です。

しかし、様々な条件がありますが、任期を延長する事も可能です。

ガーナにいる協力隊の中で任期を1年延長している隊員がいます。
この方は自動車整備という職種で専門学校に配属されています。

ちなみにこの隊員、見かけることが超貴重なレア隊員です。
ドラクエでいったら「はぐれメタル」級、ポケモンでいったら・・・すいませんポケモンやった事ないです。

そんな方の配属先にお邪魔させてもらいました。

私は日本の企業に在籍したまま協力隊に参加しています。
そして私の所属している会社は自動車関係の会社です。

そのため、この方が帰国される前に整備工場見学などで勉強させて頂こうと思ってお邪魔しました。

工場はこの方の活動の成果で非常によく管理されていました。



特に在庫管理です。
さすがに日本のレベルと比べるのは酷ですが、ガーナでは間違い無くトップレベルの管理です。





また、突如のムチャブリにより私もちょっとしたプチ講義みたいなものを行いました。

ガーナの自動車整備について一番驚いたのは、整備士の担当分担です。

ガーナの自動車整備士は

機構関係
エアコン
電気系統

の3つに担当が分かれています。

日本だとそんなの基本的には別れてないです。


今回、お邪魔して本当に色々と勉強になりました。

なにより勉強になったのはこの方の熱意です。

見学後には二人で8時間くらい語り明かすという傍から見たらちょっと気持ち悪い光景でしたが貴重な経験でした。

周りから絶対不可能と言われながらもその目標に向かって達成した方の熱意というのは凄まじいものがあります。

そこに至るまでや協力隊生活の中で様々な困難や苦労があった様ですがそれを乗り切ったこの人はハンパじゃありません。

自分も残り少ない任期ですが頑張らねばと気合が入る良い機会でした。

3年間、本当にお疲れ様でした。