2012年7月3日火曜日

最後の記事


日本に帰国してはや1週間以上が経過しました。

食べるもの全てが100倍増しでおいしく感じるゴールデンタイムの余韻に浸りながら過ごしています。

帰国後の研修を東京で受け、地元の駅についたのは帰国日からかなり経ってからでした。

やっぱり地元に帰ってきたら、

「いや~やっと帰ってきたわ~」

と感慨に浸るかと思いきや、

地元の駅がフルモデルチェンジしていて、改札通る前に本気で間違えたと思いました。

ちなみに私自身もフルモデルチェンジを計ろうと頑張りました。
っていうか美容師の方が頑張ってくれました。

すんません、どうあがいても写真をちゃんとした向きに直せなかったので見づらくてすいません。






その後は住所不定の身分を払拭すべく、住民登録のために市役所に行ったり。

田舎人は車が無いと不便なので、車を買う手続きをしたり、
でも車の手続きのためには、印鑑登録が必要でまた市役所に行ったり。

パスポートが切れていたので、更新する手続きをしようとしたり、
でもパスポート更新には住民票などが必要で、やっぱり市役所に行ったり。

そんなわけで、やたらと市役所に通った1週間でした。


さらに母親がスマートフォンを持っていたのに焦ったかどうかわかりませんが、私もケータイをナウいものにしようとiPhoneにしちゃいました。

とりあえず今のところ、ボタンが押しづらく、一向に使い方がわからないですわ。


そんなバタバタしている中、明日、会社に行ってきます。

勤務地が決まった後、引越しをする事になるかと思います。

完全に浦島太郎で、新入社員の様な気持ちで出社です。

なので、いつまでもガーナと比較したり、変な先入観を持つのは辞めようと思います。


これから生活する上で、ガーナでの経験を活かす機会は非常に少なく、下手をすれば一生機会がないかもしれません。

でもガーナでの経験は私にとって本当に貴重で、死ぬときに後悔することは絶対にないと思います。


ガーナでの生活を始め、協力隊で学んだ一番大きなものは

「デメリット(悪い点)ではなくメリット(良い点)を考える」

という事。

やらない理由、出来ない理由、リスクを見つけて行動しない事は簡単です。

しかし私は協力隊で、やった後の良い効果を目指して、行動していくという事の大切さを学びました。

文章にすると、本当にシンプルで使い古された言葉ですが、私の中では本当に大きなものです。


例えば、このブログにしても、

在籍している会社やJICAの機密情報を載せたりして問題になる事もあるからブログを作るのは辞めよう、と考えるのは簡単です。

でも、日本にいる人にガーナの事を知ってもらったり、少しでも楽しい気持ちになってもらえたらと思い、このブログを作りました。

なので極力、ネガティブな事は書かず、読む人が楽しんでもらえる様にしました。

無論、インターネットを通じて公開する以上、そこに責任があるわけなので私なりの配慮はしました。

もし至らない点があり、不愉快になった方がいたらごめんなさい。



今回の記事でこのブログは終了になります。

今まで本当にありがとうございました。

ブログに書き切れなかった部分は、お酒でも飲みながら直接話しましょ♪
おみやげも渡せるかと思います。

それではまたどこかで、バイバイよ~♪

2012年6月19日火曜日

帰国


いよいよ日本帰国です。

おそらくこれがガーナで書く最後の記事です。

もしかしたら日本であと一回書くかどうかです。

2年間、本当に本当に本当に色々な事がありました。

ホストファミリーとは2年間ずっと家族ぐるみの付き合いをさせてもらいました。
私が溺愛している1歳半で殆ど言葉を話せなかったマミエシィが今では私よりもチュイ語が話せる様になり、っていうか俺のチュイ語は全く伸びず。

ちびっ子達と裸足で軽~くサッカーしただけなのに足がアザだらけになったり。

赴任直後に行った授業で、生徒が日本の大学レベルの事を勉強していて、「俺は一体何しにきたんだ、必要ないじゃん」と悩んだり。

でもやっぱり、理科実験の授業をやる必要があると実感したり。

青年海外協力隊員は自分の事を隊員って呼んで、ウルトラ警備隊かいな?と自分にツッコんでみたり。



協力隊やボランティアとして途上国で活動する際、全員が少なくとも一度は悩むこと

「ボランティアって一体なんなんだ?」
「自分はここに必要なのか?」
「現地人が行っている今までのままでいいんじゃないのか?」

私も何度も考えました。

その度に思いました。

「彼らに必要だと思われる事と自分にできる事をやろう」

それは大きな事でも小さな事でも良いと思います。

政治を変えてこの国を良くする。

という事から

今日はゴミを一個拾う

という事まで。

私は

理科を文字だけではなくイメージで捉えさせる

生徒に顕微鏡を用いて身の回りのものを観察させる

実験器具を整理整頓する。

体の臓器に関するテストでは生徒の平均点を正解率80%にしてやる。

今日は実験器具を50ヶ洗う

という事だったりしました。



協力隊員の多くは一人で活動します。

現地人との確執が生まれてしまってもそれは自分で解決しなければならず、

体調管理も自分で行い、活動がうまくいかなくても、

いくら周りからのサポートが大事だと言っても、

最終的に判断し、行動するのは自分です。



途上国からの要請に基づいた事業であるという性質上、

協力隊員で来たはいいけど、何もする事がない。

病気に罹ったり、事件や事故に巻き込まれる。

治安が悪化して2年間をフルに活動する事ができない。

という可能性もあります。

間違いなく言えるのは、日本にいる時に想像していた事を100%思い通りに出来る人は一人もいません。

そこで違った視点で活動したり、
活動場所を変えてみたり、
自分の考えを強引に主張してみたり、
協力隊を辞めて新しい事にチャレンジしてみたり。

正解はなく、「自分が納得できる答えがあるかもしれない」というものだと思います。



青年海外協力隊の活動は、一部には非常に華やかに写り、一部には非常に地味に写り、ただその活動の多くは広く知られてはいません。

だた言えるのは、そこはやりたい事が何でもできる夢の世界でも、何もしなくても良い怠惰の世界でもありません。

あるのは「現実」だけです。

村では自給自足で生活して現金収入がなく病院に行けないという現実。

先生が学校に来ないため授業が出来ない現実。

アフリカにも高層ビルがある現実。

テロや紛争が起こっている場所があるという現実。

純粋で外国人である私にも親切にしてくれる人がいる現実。

外国人である事をバカにする人がいる現実。

協力隊員は日本国民の税金で活動しているという現実。


どんな事もそうだと思いますが、協力隊員の活動はそんな目の前の現実に合わせて活動するというものです。


なので私は日本の友人に

「協力隊はすばらしいよ。お前も絶対やるべきだよ」

とも

「協力隊なんか参加しない方がいいよ。あんなの行っても何の役にも立たない」

とも言いません。

私は私の直面した現実に対して私のできる活動をしただけであり、100人いれば100通りの現実があり、100通り以上の活動があります。



私は会社を休職して参加しました。
2年間、会社を離れて協力隊で活動した事が日本ではマイナスに働く事もあると思います。

ただ、今の私の気持ちとしては

協力隊に参加して良かった。
自分が死ぬ時にガーナで協力隊活動をした事を後悔する事は無い。

という事です。

国籍問わず協力隊生活で関わった方々、日本で応援してくれた方々に本当に感謝しています。

本当にありがとうございました。






2012年6月18日月曜日

棚問題4


「棚問題」最後です。

工事は着工しますが、買っているはずの木材が無い。

毎日来るはずの業者が来ない。

などなど、トラブルは続出です。

合計で6つの棚を製作する事になっていましたが、私が任地を離れるまでに完成したものは3つでした。

そのため完成した3つの棚を使って備品を整理しました。

劇的ビフォーアフター、ご覧下さい。

ビフォー





アフター






やはり、心残りなのは未完成の3つの棚です。

しっかりと学校内の担当者に引継ぎを行い、一ヵ月後には全ての棚を完成させるとの事。

が、いかんせんここはガーナ。

未完成の棚は作りかけなので、工事が完全に中止になる可能性は低いと思いますが、完成の時期が大幅に伸びる事は間違いないでしょう。



この棚問題を振り返ると、本当に色々な事がありました。

「棚を作る」と言葉にすれば簡単な事ですが、それを実行するには本当に本当に本当に大変でした。

また、一つの問題について現地の人と深く掘り下げてやりとりをすると、その裏にある問題の根の深さに途方に暮れそうになります。

ただ、遅く少しづつではあるけれど進んでいく棚製作は非常に楽しいものでもありました。

ピーク時には、色々な場所で棚を見れば、その作りや構造を観察してしまったり、
木材の厚さをパッと見ただけでおおよそ当てる事ができる様になったりしました。
理数科教師として本来の目的から外れているので職業病ならぬ副業病でした。



図面を書いたり、進捗管理などは私がやってしまいましたが、
工事業者や材木店との交渉、資材搬入のための手配などはカウンターパートを始めとした配属先の人間が行ってくれました。

色々な意見があるかと思いますが、私の意見としては、

外国人ボランティアは今まで現地人が行っていない、気づいていない部分に手を加えて付加価値を提供するべきだと考えています。

ボランティアは黒子やコンサルタントの様に現地人を影で支え、彼ら自身で行動する様に働きかけていくべきものであると思います。

以前から頭では思っていましたが、この棚問題を通じてそれを強く認識しました。