2012年6月19日火曜日

帰国


いよいよ日本帰国です。

おそらくこれがガーナで書く最後の記事です。

もしかしたら日本であと一回書くかどうかです。

2年間、本当に本当に本当に色々な事がありました。

ホストファミリーとは2年間ずっと家族ぐるみの付き合いをさせてもらいました。
私が溺愛している1歳半で殆ど言葉を話せなかったマミエシィが今では私よりもチュイ語が話せる様になり、っていうか俺のチュイ語は全く伸びず。

ちびっ子達と裸足で軽~くサッカーしただけなのに足がアザだらけになったり。

赴任直後に行った授業で、生徒が日本の大学レベルの事を勉強していて、「俺は一体何しにきたんだ、必要ないじゃん」と悩んだり。

でもやっぱり、理科実験の授業をやる必要があると実感したり。

青年海外協力隊員は自分の事を隊員って呼んで、ウルトラ警備隊かいな?と自分にツッコんでみたり。



協力隊やボランティアとして途上国で活動する際、全員が少なくとも一度は悩むこと

「ボランティアって一体なんなんだ?」
「自分はここに必要なのか?」
「現地人が行っている今までのままでいいんじゃないのか?」

私も何度も考えました。

その度に思いました。

「彼らに必要だと思われる事と自分にできる事をやろう」

それは大きな事でも小さな事でも良いと思います。

政治を変えてこの国を良くする。

という事から

今日はゴミを一個拾う

という事まで。

私は

理科を文字だけではなくイメージで捉えさせる

生徒に顕微鏡を用いて身の回りのものを観察させる

実験器具を整理整頓する。

体の臓器に関するテストでは生徒の平均点を正解率80%にしてやる。

今日は実験器具を50ヶ洗う

という事だったりしました。



協力隊員の多くは一人で活動します。

現地人との確執が生まれてしまってもそれは自分で解決しなければならず、

体調管理も自分で行い、活動がうまくいかなくても、

いくら周りからのサポートが大事だと言っても、

最終的に判断し、行動するのは自分です。



途上国からの要請に基づいた事業であるという性質上、

協力隊員で来たはいいけど、何もする事がない。

病気に罹ったり、事件や事故に巻き込まれる。

治安が悪化して2年間をフルに活動する事ができない。

という可能性もあります。

間違いなく言えるのは、日本にいる時に想像していた事を100%思い通りに出来る人は一人もいません。

そこで違った視点で活動したり、
活動場所を変えてみたり、
自分の考えを強引に主張してみたり、
協力隊を辞めて新しい事にチャレンジしてみたり。

正解はなく、「自分が納得できる答えがあるかもしれない」というものだと思います。



青年海外協力隊の活動は、一部には非常に華やかに写り、一部には非常に地味に写り、ただその活動の多くは広く知られてはいません。

だた言えるのは、そこはやりたい事が何でもできる夢の世界でも、何もしなくても良い怠惰の世界でもありません。

あるのは「現実」だけです。

村では自給自足で生活して現金収入がなく病院に行けないという現実。

先生が学校に来ないため授業が出来ない現実。

アフリカにも高層ビルがある現実。

テロや紛争が起こっている場所があるという現実。

純粋で外国人である私にも親切にしてくれる人がいる現実。

外国人である事をバカにする人がいる現実。

協力隊員は日本国民の税金で活動しているという現実。


どんな事もそうだと思いますが、協力隊員の活動はそんな目の前の現実に合わせて活動するというものです。


なので私は日本の友人に

「協力隊はすばらしいよ。お前も絶対やるべきだよ」

とも

「協力隊なんか参加しない方がいいよ。あんなの行っても何の役にも立たない」

とも言いません。

私は私の直面した現実に対して私のできる活動をしただけであり、100人いれば100通りの現実があり、100通り以上の活動があります。



私は会社を休職して参加しました。
2年間、会社を離れて協力隊で活動した事が日本ではマイナスに働く事もあると思います。

ただ、今の私の気持ちとしては

協力隊に参加して良かった。
自分が死ぬ時にガーナで協力隊活動をした事を後悔する事は無い。

という事です。

国籍問わず協力隊生活で関わった方々、日本で応援してくれた方々に本当に感謝しています。

本当にありがとうございました。






2012年6月18日月曜日

棚問題4


「棚問題」最後です。

工事は着工しますが、買っているはずの木材が無い。

毎日来るはずの業者が来ない。

などなど、トラブルは続出です。

合計で6つの棚を製作する事になっていましたが、私が任地を離れるまでに完成したものは3つでした。

そのため完成した3つの棚を使って備品を整理しました。

劇的ビフォーアフター、ご覧下さい。

ビフォー





アフター






やはり、心残りなのは未完成の3つの棚です。

しっかりと学校内の担当者に引継ぎを行い、一ヵ月後には全ての棚を完成させるとの事。

が、いかんせんここはガーナ。

未完成の棚は作りかけなので、工事が完全に中止になる可能性は低いと思いますが、完成の時期が大幅に伸びる事は間違いないでしょう。



この棚問題を振り返ると、本当に色々な事がありました。

「棚を作る」と言葉にすれば簡単な事ですが、それを実行するには本当に本当に本当に大変でした。

また、一つの問題について現地の人と深く掘り下げてやりとりをすると、その裏にある問題の根の深さに途方に暮れそうになります。

ただ、遅く少しづつではあるけれど進んでいく棚製作は非常に楽しいものでもありました。

ピーク時には、色々な場所で棚を見れば、その作りや構造を観察してしまったり、
木材の厚さをパッと見ただけでおおよそ当てる事ができる様になったりしました。
理数科教師として本来の目的から外れているので職業病ならぬ副業病でした。



図面を書いたり、進捗管理などは私がやってしまいましたが、
工事業者や材木店との交渉、資材搬入のための手配などはカウンターパートを始めとした配属先の人間が行ってくれました。

色々な意見があるかと思いますが、私の意見としては、

外国人ボランティアは今まで現地人が行っていない、気づいていない部分に手を加えて付加価値を提供するべきだと考えています。

ボランティアは黒子やコンサルタントの様に現地人を影で支え、彼ら自身で行動する様に働きかけていくべきものであると思います。

以前から頭では思っていましたが、この棚問題を通じてそれを強く認識しました。




2012年6月17日日曜日

棚問題3


まだ「棚問題」です。

なんとか一応の許可を得られたため、棚の製作について具体的に進める事となりました。

まず、同僚と詳細を検討後、棚の図面を作成しました。



私の人生の中で図面を書くという事は生まれて初めて、さらに絵を書く能力が幼稚園児レベルの私は本当に苦労しました。

製図といっても日本の様にパソコンで作成したりする本格的なものではないですが、製図する道具もないので、大きな街で買った三角定規や分度器なんかを駆使して手書きで書いていきます。

さらに色々な都合で、3種類の棚の図面をほぼ一日で仕上げなければならない状況であったためマジでしんどかったです。

図面が完成すると、それを同僚が学校内の設備管理担当者や工事業者に費用を算出する様に動きました。

そうして出てきた概算費用

約2,000ガーナセディ(約10万円)

ちなみにこの金額、ガーナではちょっとした人の年収くらいの大金です。

この金額を校長と経理担当者に見せたところ、

「もう少し、費用を抑えられないのか?」

と再検討依頼が入りました。

そこで、設備管理担当者、工事業者、木材屋さんなどと検討を重ねていきます。

「図面に描いてあるサイズの板は遠くの大きな街まで行かないと手に入らない」

「でもなるべく厚い板を使わないと、たわんだり折れたりするよ」

「じゃあ負担が掛かりそうな部分にだけ補強材を入れて構造的に強くしよう」

「とりあえず、お腹減ったからご飯食べたい」

「隣の家のやつが、冷蔵庫買ったらしい」

などなど、有意義と無意味がマックシェイクの様に溶け合った議論が展開されます。

最終的に1,800ガーナセディ(約9万円)と一割のコストを削減して最終承認を得られる事ができました。

そんなこんなでようやく工事がスタートしました。


2012年6月16日土曜日

棚問題2


引き続き「棚問題」です。

校長先生の言い分として

2007年にガーナ政府から理科強化校に指定された際に新しい(現在使用している)実験室が建てられた。
その時、一緒に棚も作られているはずのものであり、今からお金を出して製作するのはおかしい。

との事。

ちなみに今の校長先生は2010年の途中に着任しているので当時、学校にはいません。

ここで一度計画は完全に頓挫します。

その後、当時の工事業者に事実を確認しますが、いかんせんここは途上国ガーナ、そんな詳細な資料が残っていたり、詳しい状況は把握できませんでした。

そのため、周りの先生や職員を巻き込んで校長先生を説得する様な働きかけを行いました。

ガーナ人の高いブライドを傷つけては、この計画は完全に崩壊するので、

「そうそう、こんな実験器具があるんだけど見に来てよ」

「この前、日本では見ない変な器具を見つけたんだけど使い方教えてちょうだいな」

等と、軽い感じで他の先生や職員を理科室に呼んで備品が山積みされている部屋に誘います。

「いや~こんな山積みされた器具はもったいないよね」

「棚があれば何がどこにあるかわかりやすくならないかな~?」

などなど徐々に用件を切り出していき、理科を担当している先生以外や管理職の人たちに私の考えを知ってもらいました。

要は「根回し」です。

空から降る一億の星のキムタクの様が

「別に俺が頼んだわけじゃないけど、彼女が勝手にやったんだよ」

と言ったように、

「別に俺が頼んだわけでじゃないけど、みんなが勝手に校長先生を説得してくれた」

的な感じです。

この働きかけが功を奏し、校長先生をなんとか説得する事ができ、棚の製作について一応の許可を得られる事となりました。


そしてこの時、私には決めていたことがありました。

「棚の製作にJICA(独立行政法人国際協力機構)の支援経費は使わず、配属先やガーナの機関の中で費用を全て出してもらおう」

協力隊員がJICAに申請をして承認を得られれば、費用を工面してくれる制度があります。

それを使わずにいこうと考えたのは、既に製作されているべきものと主張しているものに対して、外部の機関から援助をするべきではない。
と考えたからです。

2012年6月15日金曜日

棚問題1


いよいよ、ガーナにいる時間も残りわずか。

料理ネタと下ネタを書き続けても良いと思うのですが、風当たりの強い昨今の状況を踏まえて活動の事もマジメに書きましょう。

私が取り組んだ活動の中で一番大きなものが、

「棚問題」

です。

私の配属先には文字通り腐るほど実験器具があります。

これは2007年に理科強化校として指定された際に実験棟建設と共にガーナ政府から送られたものです。

しかし、それらの器具の多くは一度も使われず放置されています。



ただ放置されているだけのため、使いたい器具があっても探し出す事ができませんでした。

さらに、例えばある薬品を使いたいと思って新品の封を開けた後に、使いかけの同じ薬品を見つけるという事が多々あります。

そのため、当初からこの現状を何とかしたいと考えていました。

そこで、これらの備品を整理する棚を実験室に置こうと動きました。

まず、今まで訪れた学校ではどの様に管理しているかを調べ、

写真を見ながら同僚と

「あの学校ではこんな棚を使っているけど、小さい薬品を置くのには不便そうだよね」

「うちの学校に棚を置くとしたら、薬品と実験器具は完全に分けたいよね」

「今まで使っていた器具はすぐに取れるようにしたくない?使っていない備品とは分けたほうがいいかな?」

などなど、意見を交換していきました。

そして配属先へ正式に依頼書を提出していきます。

学科長、副校長先生は

「お~いいんじゃないか。じゃあ校長先生に話をしに行こうか」

と好印象で了承してもらいましたが、校長先生に話をすると却下・・・

ここから私の地獄の日々がスタートしました。

過去問集


私がいるガーナの教員養成校は学期末の試験は学校独自で作らず、ケープコーストという街にある大学が一括で作成します。

基本的に学期末試験60%、平常点(通常授業での評価)40%で生徒は評価されます。

そのためケープコーストの学期末試験でいかに点数を取れるかというのは生徒にとってかなり重要になってきます。

私も学期末試験が近くなると過去の問題を見て、ちょっとした対策を行ったりしています。

ある日、同僚が

「ここに過去問あるから使うなら取っていっていいよ」

と、床や机に散在したプリントを指して言っています。

き、汚い。


A型の血が叫んでいます。

「ユー、片付けちゃいなよ!!」

しかし、私の任期も残りわずか。


もう一人の後ろ向きの自分がボソっと

「途方も無い量の資料だし、他にやっている事もあるし、離任までに間に合わないよ・・」


ひと昔に有名になった方は言っていました。

「アツイ、ヤバイ、やるっきゃない!!!」


そんな声に後押しされたかどうかわかりませんが、過去問集を作る事にしました。

作り始めると、これがなかなか手強い。

まず、カウンターパートは

「お~モリタ、こんなとこにも問題用紙があったぞ」

と、わんこ蕎麦のおかわりの様にどんどん問題用紙を持ってきます。

さらに、問題用紙が2枚以上に分かれているとそれがバラバラになっています。

ジグソーパズルの様に前後の問題を見ながら合わせていく作業はしんどいの一言です。


まず、同僚に簡単な仕分けはしてもらってから私がそれを細かく整理していきます。

こうして完成したのが、過去問集です。





オリジナルは全てこのファイルに閉じてあります。
今後も同僚が使える様にとタブをつけて教科毎に分けています。
このファイルは生徒持ち出し禁止。





重複して複数あった問題用紙は別の袋に入れて生徒に渡しても良い様にしました。


いや~なんとか間に合った。